私立静和女学校跡 [廃墟・廃校・古道・隧道]

明治35年、女子教育の立ち遅れを解消するため、豊栄村岩川(現・千葉県長生郡長南町岩川)の白井勇次郎先生(地元の名士と思われる)が、近所の寺・祐蔵院を仮校舎として、私立静和女学校を開校。

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※コンパクトで綺麗なお寺です。草刈りもキッチリしてありました。取材しましたが、当時の資料は残っていないそうです。「ごめんなさい」なんて謝って頂いて、「いえいえとんでもないです」とこちらも恐縮。


明治36年、現地に本校舎完成。高等女学校に準じた学科3年と師範予備科・専修科1年を備える学校となった。

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※前は県道の為、割と交通量多め。






※白井先生のご自宅はこの石碑の真ん前。道路(県道13号市原茂原線)の反対側。

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詳細はこれを読んで欲しい。
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生徒が増えたため、16年後の大正8年、茂原に校舎を移し、昭和14年には県に移管。現在は県立茂原高校となった。今も静和会という名前が残り、活動している(保護者会・卒業生会の事だと思う)。この学校も、私立が県立に変わったのだ。以前の上埴生学館跡地から数キロしか離れておらず、この近辺の、教育に対する強い姿勢が、窺われる。

今回は雑草を燃やしていた農家の方に話を伺ったが、明治の事なので分からなかった。正面の白井先生のご自宅に行けば、写真等あるかもしれないが、呼び鈴を押してまで取材は気が引けて出来なかった。

また、現地は田の中にあるため、当時の雰囲気は残っておらず、石碑だけである。
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よって当時の雰囲気、三つ編みおさげの女学生が走る様子などはイメージできなかった。ちょっと残念である。でも、田を渡る風はいつも爽やかだった。

他の文化財に関しては、https://www.town.chonan.chiba.jp/shoukai/rekishi/536/を参照頂きたい。

以上・今回は文化財紀行のような感じで、終わらせて頂きます。

ではまた。





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