長南町指定文化財史跡 私立上埴生学館跡 [廃墟・廃校・古道・隧道]

茂原の隧道の帰り、近所の村の中をDFで散策中、発見した看板・。

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此処が学校だったのか・・・(昔の学校はグラウンドが狭いので、跡地に気づきにくい)。

でもいい雰囲気だ。たまに軽トラが通るだけの、農村の静かな通りから見える跡地。入ってみよう。

 冒険探索バイク・DFは、落ち着いて休息に入った。奥の家は公民館的なもので、学校とは無関係。

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地図は公民館を設定してある↓




説明看板がある。近づいてみよう。

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これ何度読んでも良く分からなかったのだが、要するに、
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明治21年・・ここに尋常小学校ができた・同年末、私立上埴生学館中学校ができた。明治22年開校。
明治34(1901)年には私立長生学校と合併して茂原に移転、大正12(1923)年には県に移管されて、現在は県立長生高等学校となった。という事で、最終的には私立が公立になったんだな。
ここは12年間しか使われなかったけど、町の有志の尽力で立ち上げられた学校だし、それが大きく発展していく基礎となったことを称え、この跡地を大切に残しましょうという事らしい。

この奥の台地に、4棟も校舎が建っていたらしい。すごく狭く感じるのだが、土地って建物を建てると広く感じるからね・・・
※良く、更地にすると、「この土地によくあんな大きな家が建ってたよね」なんていう会話をすることがあるでしょう?

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この案内板に「当時のレンガ積みの井戸跡が現存する」ってあるので、藪漕ぎしてみたが、木が密集して生えているので、進めないのだ。のこぎりで倒しながら進まない限り・・。見たい、明治の井戸の跡。さすがに藪漕ぎ名人を自負する私(いつから?)でも無理だ。

自転車で通りかかった女性に聞いてみたが、「あるらしいけど見られないよね・・。」とのこと。また、この近辺は教員が多い事を教わった。

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 でもいいのだ。明治の小中学生が駆け回ったグラウンド・校舎があった場所。
時空を超え、そこに私は立った。たくさんの観光客が来るわけもない、静かに眠る地方の学校跡。
私はどうしてもこういう所が好きなのだ。これは生まれ持った性分かも知れない。
平凡に・しかし力強く生きた名もなき人々達が集っていた場所。そこにいるだけで私は幸せなのだ。
明日を生きる活力になるのだ。


長南町には女学院跡もあるらしいので、今後そこにも行きたい。

DFありがとう。さあ帰ろう。今日は日のあるうちに帰れそうだ。
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ではまた。

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